私の音楽人生 Bertie Higgins 4章- ②旅と音楽 モロッコでの失態!(失笑)バーティー・ヒギンス(Bertie Higgins)

さて昨日からどのシリーズを書こうかなって、会社からウォーキングしながらの帰宅中、ずっと考えてました。

聴かず嫌いシリーズ(2章)か、旅と音楽シリーズ(4章)か、私の昔から好きな音楽シリーズ(3章)か何にしようかなって悩んでましたが、昨日はたまたまなのですが、亡き母の命日なんです。家庭は裕福じゃなかったけど、一生懸命に私を育ててくれた母親だった。

そこで思いつきました。今回は、楽しい愉快な話きれいな曲を紹介できる話題にしよう!亡き母も喜ぶはずだ!とね。(ビールを飲んだら昨日配信できなかった。笑)

それは、あの海外旅行時の音楽の話だと気づいたので、4章-②として初の海外旅行編を紹介します。(おい、国内編も1回しかしてないじゃないか!って突っ込まないで。笑)

アフリカのモロッコに行く前に楽天がメインスポンサーのバルサを観戦

それは、2017年の夏の事です。この時の旅は、①スペイン②ジブラルタル(イギリス)③セウタ(アフリカ/スペイン)④モロッコに行ったんです。

今も忘れられない8/20バルサカンプ・ノウリーガエスパニューラの開幕試合を見たんです

しかも、日本の楽天がメインスポンサーという日本人として誇らしい開幕試合

また、直前の8/17にバルセロナ市内のメインストリートで観光客が集まるランブラス通りの歩行者専用エリアに車両が侵入して13名死亡、50名以上の負傷者が発生。

このテロが発生していた為、バルサの選手の背中の名前は全員BARCELONA』となってました。

バルサ時代のメッシも見れたし、特別な試合を観戦できました。

でも楽天は今年度でメインスポンサーを終了(Spotifyへ)なんですね。残念

欧州のサッカーを見たのは、香川のいたマンU観戦(サインもゲット)以来でした。

ちょっと旅行記になりかけたので、ジブラルタル・セウタの件は割愛!いつか、旅行記のブログを作成したいと思います!今は私の音楽人生に集中!

 

憧れの人類の祖先の地アフリカへ!

人類が生まれたアフリカ大陸に初上陸するにあたり、私は周到に準備していた。

そう、ロッコカサブランカに行くので、バーティー・ヒギンスの名曲『カサブランカ現地で聴こうっていう作戦です。(なんちゅう低レベルな、、。笑)

スペインの南端アルへシラス港から旧モロッコ領土スペインが占拠しているセウタに向かいます。ジブラルタル海峡は、狭く軍事上の要所

大英帝国時代、英国がスペイン領土のジブラルタルを分捕った後に、スペインは対岸のモロッコのセウタを占拠

スペインは英国にジブラルタルを返せと言っているが、自分のしている事を理解しているのだろうか?かわいそうなモロッコ

 

ジブラルタル海峡フェリーで1時間程度乗れば、アフリカ大陸に渡れます。見えた!あれがアフリカ大陸かあ!なんだか不思議な感覚だった。(私がアフリカに行くなんて)

徒歩でモロッコ入国するのですが、あれ、いつ出国したっけ??って珍事も発生するのですが、それも詳細は割愛

何とかスペインを出国できて、タクシーで青い村シャウエンに向かうバスが出ている大きな町まで行く。

タクシーの若い兄ちゃんは、ノリノリの地元の音楽大音量でかけまくる。なかなかいい感じだなあと思い、私も外の映像を撮りながら、その音楽を録音した。

 


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さて、ついに伝家の宝刀を抜く時が来た。中距離バスに乗る町に到着する前に、タクシーの運転手を喜ばしてあげたいと思い、バーティー・ヒギンスのカサブランカ聴かせた。

ところが、反応は意外なもので、知らないとの事、、。

心の中での説教タイムがスタート!

おまえさんの国の主要な都市のカサブランカって曲を知らないのか?世界的ヒットなんだぞ。(私の恥ずかしい勘違いには、当時気づきませんでした。

あっそうだ、ここはロッコの東部。大げさに言えばロッコの中のFAR EAST(極東⁉️  なんだそれ、笑)だから、知らないのかも、いや知らないんだと失礼な事を考えて、自分を納得させた。

余談だが、日本のあるアジア東部の地域極東とか名称を付けるのは失礼な話ですよね。でも、昔、子供のころ聞いたFENFAR EAST NETWORK)の響きは都会的な感じがしてかっこいいと思っていた自分がいる。(笑

 

素敵な青い村シャウエンは、カーニバルの日でお祭り騒ぎで、いろんな音楽が流れていて楽しかった。いろいろあるが、ここもこの辺で割愛別ブログにて、、(

 

さて、ようやく、この曲の本場カ(?)サブランカについた。ここでは、何回もタクシーに乗り、そのたびに、カサブランカを聞かせた。誰も知らなくて悲しくなった。。

 

静かでいい曲ですね』最初から最後までロッコの人は全くしらないという事実を知らされた。日本で旅の前に用意周到に準備していた私は何だったのか赤面ものです。(笑

帰国後、ネットで調べると、このカサブランカは、日本でのみシングルカットされて大ヒットしたという事が判明。そりゃ知ってる訳ないよね。。(汗

 

上司に笑い話として報告(?)。

すると上司からは、そりゃ知ってる訳ねーよ。こう言われなかったか?『Hiromi Goじゃない!』って。

会社の周りの人たちも大爆笑となりました。

以上、お後がよろしいようで、、。

 

 

 

Collector's Series Bertie H

 

最後にみんなにお礼が言いたい!

私の稚拙なブログを見てくれているおかげで今日、モロッコのタクシーで聴かされた地元の流行っているノリノリの音楽が入った録画映像を見れました

約5年前の思い出が鮮明によみがえりました。また人懐っこいモロッコの人々に会いたいという気持ちが強まりました。

本当にありがとうございます!

録音されていた地元の音楽も、聴かず嫌いを脱した私にとっては宝物のような音源となりました。

頑張ってこのブログをまだまだ続けていきます!ではまたです!

 

 

 

私の音楽人生 ELP 2章-② 音楽の聴かず嫌いをやめよう!新しい世界が待っている!エマーソン・レイク&パーマー(ELP)

さて今回は、例の音楽の聴かず嫌いをやめよう!シリーズの第2弾です。

前回は導入部として、私の殻を破ってくれたスコーピオンズをご紹介させて頂きましたが、今回は、めちゃくちゃ古いけど、なぜか今ちょっとだけ旬な曲をご紹介しますね。

プログレッシブロック(プログレ某アーティストとの出会い

みなさん、プログレッシブロックって聞いたことがありますか?

知っている人は、私世代かと思いますが、若い人は絶対に知らないと思います。私ですらこの音楽が流行っていた時期は幼すぎてリアルに聞いたことがないのですから。

 英語で書くと『progressive rock』、Progressiveとは辞書を引いてもらうと『進歩的な、革新的な』と出ますが、そうなんです、従来とは違ったスタイルのロックなんです。

 

私とプログレッシブロックとの最初の出会いは、実は、今回紹介するELP(エマーソン・レイク&パーマーとは、異なります。

このELPは、当時もの珍しかったシンセサイザーをロックに導入したんです。

どうですか?プログレッシブなアイデアですよね。

しかしながら、今回紹介するELPの曲は、本来は知らないはずの若い方でも聴いたことがある可能性があるため、ELPをこのジャンルの最初のアーティストとして紹介致します。

実は、NHKのBS放送今日夜10時からも放送されていたシリーズ番組の『HUMANIENCE』でも番組中に流れている音楽すべてプログレッシブロックなんです。     

 

ELPは、オープニングではなく、番組の途中で数回放送されます。

だから、今回紹介するELPの曲を紹介しますが、若い人でも『あっ聴いた事がある』って思うかもしれません。特に、この番組を見ている人は必ず気づきます

(下手したら、気になっているのに、調べるすべが分からないという人もいるかもしれません。

毎回、この番組を見るたびにこの音楽は流されるので、この番組を見ている人は、曲を知らない人も、もう、体が受け入れている可能性があると思います。)

 

今回紹介するELPのアルバムは、1971年のセカンドアルバムである『TARKUS』です。このアルバムからの曲(1曲目のEruptionなど)が放送されてます。

ELP-TARKUS (Manticore long edit) - Bing video

私が紹介するELPは、プログレッシブロックとされるアーティストの中でも、音が凄くきれい難解ではなくすんなりと体が受け入れられる音楽だと思います。

(この種の音楽は、受け入れがたい難解なものも多々あります。)

無理せず体がいつの間にか受け入れるコツ

この種類の音楽を受け入れるポイントは、まずジャケットの絵で判断しないことです。このジャケットの絵を見てふざけている

絵もそうだし、音も子供じみていると判断するともうこの音楽は受け入れられませんので気を付けてください。

 

CDから圧縮デジタルデータであるmp3かAACに変換して、アイフォンやアイポッドなどに入れて、今はやりのウォーキングをしながら少なくとも2回は聞く。(ヘビーローテーション

ウォーキング中は、周りに注意するので、音楽だけに集中できません

しかしながら、そうした環境の中で、違和感なく聞けていれば、私の経験上、ほぼ体が受け入れてくれてます

本当に嫌いな曲は、車や周りの状況にもかなり注意を払っているウォーキング中でも、いやでいやでしょうがなく、再生を止めてしまうものなんです。そうなったらもうあきらめてください。

そうした嫌いなアルバムがあったとしても、無理をしてそれを好きになろうとしなくても、それ以外にいい曲は世の中にたくさんありますので、ぜひご自身で探してください。

もし、私のご紹介する音楽を気に入ってもらえたら私としても本望です。

 

 

今後も、私が受け入れた新ジャンルの音楽として、このプログレッシブロックシリーズも扱いますし、他のジャンルも扱います

海外旅行と音楽面白いネタを用意してますので、近々ご紹介しますね。

では、またです!

 

 

 

私の音楽人生 Maurice White 4章-① 旅と音楽 神戸での奇跡!モーリス・ホワイト(Maurice White)

今日は、いきなり3章を飛び越えて4章として『旅と音楽』についてお話ししたいと思います。(3章は私の今持っている数万曲の音源から元々好きだった音楽を順次ご紹介していく予定です。)本当は3章としようと思ったのですが、流れ的におかしいだろって思って4章にしました。

 

では、本題です。実はこの間、関西に旅行に行ったのですが、その時の音楽に関する奇跡(いつも通り大袈裟な 笑)を交えてお話したいと思います。個人的には奇跡が同時に2つ起こった感じです!では、旅の話も交えながらもできるだけ脱線せずに、できるだけ音楽と関係するお話をしたいと思います。

 

数十年振りにある思い出の場所へ!

この時の関西への旅は、まる3日間設定した。メインは甲子園での野球観戦

それ以外はノープランの旅であった。

なぜならば、2つ理由があり、1つ目は、選抜高校野球大会の観戦の為に、甲子園に行くのを前日夕方に決めた事。(相変わらず適当な人生です 笑)

もう1つは、30年前に勤務した懐かしの土地なので、ある程度の場所を知っていた事による。

しかも、高校選抜野球大会の初日は金曜日であり、会社から有給休暇を取り、関西に早朝から向かった。あいにく天候は数mm程度の雨予報雨合羽を持参しての悲壮感漂う決死の覚悟で観戦に臨む予定だった。

しかしながら、開会式に間に合わせる阪神電車の梅田駅に着くと、雨天中止の電光掲示板の文字に唖然としてしまう。(会社には金曜日の試合観戦で有給とっているんだよ、どうしてくれるー、と思いながらも会社に雨天中止だが戻れないから今日は予定通りに休むという変な電話をする羽目になった。(まあ4連休にさせてもらったので後でいろいろ言われたくないのでね。)

 

さて懐かしい関西の地で、雨の中、いきなりノープランの旅であることを後悔する。(当初の予定は、試合中もしくは試合開始前、移動中に、今日の試合後の予定を少し時間をかけて考えるつもりだった。)

改めて、30年ぶりに来た大阪は、駅の北側がきちんと再開発されており、日本の2番目の都市としての風格が付いたなあと実感した。阪急百貨店も相変わらずおしゃれなだな。おっと、阪神百貨店が建て直しで様変わりして外観が立派になる。前の風情ある建物の方が、阪急百貨店とのコントラストが映えて良かったのになあ。(残念!

 

ノープラン旅で、時間をだらだら過ごせる場所は、大阪の秋葉原である電気街だな。地下鉄なんば駅から懐かしい場所を歩いて日本橋でんでんタウンに向かうぞ。さて、道を聞きながらなんとか電気街に着く。30年前の関西勤務時によく来たなあ。

よく来た理由は、確か10万枚を超えるCDを所蔵するレンタルCDがあったからだ。ついでにいろんなPC周辺機器などを見て回ったなあ。

そうだ、あの巨大レンタル屋を久しぶりに見に行こう。急にワクワクしてきた。店は聞かなくても場所は、何度も行ったから体が覚えているはずだとして、探し始めた。

しかし確かこの辺やったはずだがなあって思うが分からない。歩き続けて電気店が無くなった時点で、その周辺の風景が見覚えあり確信した。『店はつぶれている!

でも、店の名前が分からない。Web検索をすると出てきた。『K2Records』だ。

しかしながら、検索して愕然とする。昨年12/30でレンタル事業を終了との事。だから店舗もなくて当然だ。30年ぶりに来た事から考えるとほんのタッチの差でレンタル事業を終了したんだと思うと少しセンチになり泣けてきた。私の青春の1ページだった。3ケ月早く来てれば、、。

 

<懐かしいメンバーズカードが出てきた。>

 

数十年振りにある思い出の場所へ!②

センチになった私は、30年前のお客さんの会社がどうなっているかを見に行った。新人営業マンで毎日この地下鉄でこの駅で降りて行ったなあ。改札口も変わってないなあ。

ここで、新人として鍛えられたなあ。私も頑張ったし、お客の会社からも困った時によく助けてくれたなあ。もう一度、受付を経てあの人たちと会いたいなあって思いながら、何度も客先の会社を振り返りながら目に焼き付けた

でも、心の中でまじにつぶやいた。ありがとうって。平日金曜日だし、ドラマならば、ここで、懐かしかった人と偶然奇跡の再会をするはずなのだが、当然会えず、、現実は厳しいですよね。(笑

 

数十年振りにある思い出の場所へ!③

降りしきる雨の中、センチになりすぎた私は、当時住んでいた神戸の繁華街を見に行く事を決意する。(本当は、阪神大震災で被災した時に住んでいた場所もその前に見に行ったが、私のブログ内容の趣旨にそぐわないのでここではカットします。でも更にセンチになりました。絶望的です。笑)

 

30年ぶりの三宮駅。駅ビルが立派になったなあ。それ以外はそんなに大きく変わってない感じですごく嬉しかった。

若いころは、お金もなくて、新品のCDばかり買えないので、三宮ではよく中古CDを買ったなあって思いながら、懐かしい元町商店街のアーケード内を歩く。

店は変わっているのだろうけど、少し暗い感じのアーケードは雰囲気が変わってない感じでこれも嬉しかった。そうそう、よく通った中古CD屋はどこだっけ?

アーケードの1本横の細道かと思ってみてみるが違うなあって思いながら、南京町にたどり着く。今日の夕食はここだ。昔は横浜中華街と比べて物凄く小さいなあと思っていたが、久しぶりに来たら、そこそこ広さがあるのだと実感した。本当に懐かしい。

ここで昔ザーサイを丸ごと買って、家で切って食べたらあまりにも塩辛く捨てた記憶を思い出した。後で会社の人に聞いたが、塩抜きしないといけないとの事だった。私の本当の意味でもしょっぱい昔話だ。

 

中華料理+青島ビールでいい具合に酔っ払った。おいしかったなあ。よろけながら、最後の三宮の街並みを見ながら大阪市に帰る事とする。本当は、海側にも行きたいのだが時間が無く諦めた。線路沿いに三宮駅に戻る途中で気付いたあっあそこの高架下の商店街だ!中古CD屋があったのは。

気持ちが高揚してきた。あの30年前の店がまだあったらなあ。でも、でんでんタウンでの悲劇もあり期待しないこととしたが、案の定、中古CD店は無かったが、狭い高架下の商店街が残っていてすごく嬉しかった。『ピアザkobe』って昔から言ってたかなあ? いや多分、そんな名前じゃない、、気がする。(笑

 

結局、ピアザKobeで中古CD屋を見つけられなかったのですが、高架下の極狭の商店街を出て10mぐらい歩いて諦めきった後に、中古CD屋を見つけた。奇跡の出会い①だ。期待せずに、適当に中古CDを探したら、なんと昔から探していたアルバムを発見した。

それはEW&Fのバンドリーダーのモーリスホワイト唯一のソロアルバムMaurice White (邦題:スタンド・バイ・ミー)』だ。奇跡の出会い②だ。(笑 

 

この1985年のアルバムの『I Need You』がとびぬけて素敵なバラードなんだ。

昔の彼女にこの曲のPV映像をVHSにコピーしてあげた思い出の曲だ。

ソロ活動もこの1枚のみで、他の曲がいいのか分からず、新品での購入は控えていたものだ。

既にあるコンピレーションアルバムの購入でこの曲の音源は入手していたが、ソロアルバムをいつか入手したいと考えていたので、凄く嬉しかった

購入後聴いてみたがまずまずI Need Youの素晴らしさは、群を抜いて素晴らしい。他の曲もEW&F風の曲であり、満足いくものだった。すごくいい旅になった!

 


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どうでしたか?私がどんな曲を好むかどうかについても一端をご紹介した形になりました。こうした感じのバラードが大好きなんですよ。

でもでも、私はこの枠に留まらなかった(だからブログで伝えている 笑)ので、またご報告しますね。じゃあまたです!

 

 

私の音楽人生 Scorpions 2章-① 音楽の聴かず嫌いをやめよう!新しい世界が待っている!スコーピオンズ(Scorpions)

いきなり2章になりました。(笑 私の学生時代の音楽についてはあまりネタが無いし、別途、ネタ切れの時に第1章続編としてお伝えしますね。そこで今回は私が皆さんに一番伝えたい事を第2章としてお伝えしますね。

音楽の聴かず嫌いやめる決断をした、成長する為に!

大好きな洋楽(80年代中心)のポップスや軽いロックのCD収集が趣味なのですが、数年前から、聴きたいor買いたいCDが無くなったのです。

この絶望感は、なんと伝えていいのか分からないほどの深い悲しみを伴いました。(大袈裟ですね 笑)

しょうがないのでいろんなコンピレーションアルバムも見たのですが、すでに持っている音源だらけで興味がわかない。

かと言って、私の兄のようにアバっていいよなあって言って、アバのベストを何度聴いても飽きないようなつまらない音楽人生は嫌。

確かにアバは素晴らしい曲をたくさん作っており、懐かしいし、私も好きだが車で聴くほどではない。懐古趣味にも陥りたくない

また、新しい音楽ジャンルに飛び込む勇気もないし、興味もない。(これって多分、みんなも同じですよね。

多分、多少は積極的に新しいジャンルの曲を聴いたけど、受け入れられなかったからですよね。『お金を返せー、時間を返せー、やっぱり俺はこのアーティストしか駄目なんだ。』って思っちゃうんですよね。私もそうでした。。  

(映画もそう。2時間の映画を見て面白くなかった時は、時間を返せー、無駄な時間を過ごしたと反省してるので、最近はドキュメンタリー番組を中心に見てます。裏切らないから)

しかし待っていても、私の耳だけでなく、体が受け入れてくれるいい音楽とは出会えないので、覚悟を決めた。

そうだ、ハードロックヘビメタのバンドでも私の好きな素敵なバラードを歌っているのもいるなあ。

今回は、少ないですが、ハードロックバンドで私が受け入れたバンドを紹介します。

 

ハードロックバンドとの出会い(それはバラードから)

そうだ、昔MTVを見ていたら、スコーピオンズの『Wind Of Change』を見たら、もの悲しいバラードであり一発で好きになった。


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しかしながら、その時は、自分の要らぬ無用の知識が邪魔していた。『①ハードロックバンドだろ(嫌い!)②ハードロックバンドの恰好も嫌い③ドイツ人グループだろ(英米のバンドしか認めない!)④スコーピオンズって名前が気持ち悪い、嫌いな生き物だ⑤そもそも一部のいいバラードしか受け付けられないはずだ。』といった感じです。

 

窮鼠猫を嚙む』と言います。

まったくの誤用だと思いますが、私は音楽的渇望によって精神的に絶望の淵まで追い詰められたネズミなんです!そうだ、勘違いじゃないはずだ。このままでは危険だ。

追い込まれたネズミは強い!今まで毛嫌いしていたハードロックと位置付けられるスコーピオンズを恐る恐る聴いてみた。

ヘビメタってこんな感じなの?好きなボンジョビのハードロック気味の曲とそんなに変わらないやん。一部を除いて全然いけるって事に気付きましたよ。ガンズ・アンド・ローゼズと変わらない。。

 

また、『荒城の月』とか日本語で歌ってて日本びいきなんだと分かると、完全にそこからはスコーピオンズを受け入れちゃってました。(笑


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もし、私のようにソフトな曲、バンドばかり聴かれている方には、名曲バラードのWind Of Changeを聴かれて、スコーピオンズの音楽を再評価していただき、ご自身の音楽人生(大袈裟な まあ私のタイトルですが)がより快適になられたら本望です。

 

 

私もスコーピオンズばっかり聴いている訳ではなく、今はたまに聴く程度ですが、今は、彼らに対して受け入れて、一定の評価をしている自分がここにいるんです。

彼らがその後の最終的にはJAZZの世界へ誘ってくれた私にとって忘れられないバンドだと、今後の音楽人生の中で位置づけてます。(感謝!)

 

また今後も、私の音楽人生の転機となり、新しい世界を見せてくれた素敵なバンドを紹介していきますね。

 

あと、3章として、昔から好きなアーティストも紹介していきたいと思います。思うままにふらふらしながら、どちらかを紹介していきます。あと、4章として、ネタは少ないですが、海外旅行した時の思い出、旅と音楽って感じで、音楽と旅のネタをご紹介していきたいと思います。ではまたです!

 

 

私の音楽人生 1章-①学生時代に聴いた音楽 ビートルズが幼少だった私に洋楽魂の火をつけた!

今でこそ、数万曲の音源をFLAC形式でコレクションして、PCオーディオで楽しく聴いているが、英語のポップス、軽いロックだけでは、聞き飽きてしまい、軽いメタル系も聞きだした。

さらにはスパニッシュポップスフレンチポップス少しだけ音源を確保したり、世界旅行をした経験から民族音楽の音源も聴いてます。

そして、今のマイブームはJAZZ。本当に最高だと思う。(今後、いつかお話します。)

こんな私がいかにいろんな音楽を聴くようになったかについてと、その収集方法(メディアや録音機器等)についても、今後語っていきたいと思います。

洋楽への興味

私が子供の頃に初めて興味を持った海外アーティストは、リアルでは残念ながら聴けてないが、ビートルズだった。

興味を持った小学校の頃は、アイドルグループのベイシティローラーズが女の子に大人気で、そのせいか彼らの音楽を女ウケするからか好む男子もいたが、私は冷ややかに見てた。

ただビートルズもアイドルグループかもしれないが、クリエイティブであり、全く他のアイドルグループとは一線を画すと思っていたし、実際に世界が認めるグループである。

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高校生までは洋楽ポップスの曲収集の限界を感じていた

但し、正直言って幼少の時に好んでいたビートルズの曲はシングルカットされた有名な曲が主(?)であり、いや、実は、子供には買えない高いビートルズのレコードを集める事が、当時出来なかったからである。(今のサブスク全盛時代を生きている若者は、全面的ではないが、少しうらやましい気がする。)

 

私が中学校の時に、ビートルズのレコードをすべて持っているという裕福な家庭の友人の家に行った時に、友人から『ビートルズの曲で何が一番好き?』と聞かれた時の悔しい思い出がある。私は何の曲を言ったか覚えてないが、間違いなく誰もが知っている有名曲を言った。

一方、裕福な家庭の彼からは、なんだか聞いたことのない曲名を言われて、こちらがぽかんとしている表情を見ながら、優越感に浸っている表情をしていた。

 

そうだ、思い出した。彼は、シャープの大型ラジカセ(Wカセット)を持っていて僕の安いソニーの小型ラジカセとは比較にならないほどいい音を出していた。               

今シャープは、液晶事業で失敗して台湾企業傘下になってしまったが、当時は大型ラジカセのWカセット(ダビング可能)の大型ラジカセで結構頑張っていたのだ。      

ちょっと敗北感を感じながら帰宅した残念な思い出である。

大学生になり状況が一変した!(CDの導入)

地元の大学に進学し、実家から大学に通っていた。アルバイトは、塾と家庭教師の両方をやって、月に20万円以上稼げた。高校生までの自分とここまで環境が変わるとは思わなかった。

CDプレーヤーも購入し、TOTOのセカンドアルバムであるハイドラを聴いたが、曲間が無音な事には鳥肌がたった。

カセットテープは曲間ではサーという音のヒスノイズがしていたなあ。

ドルビーCのノイズリダクションで消すのだが、完全に曲間を無音にはできず、CDの凄さは未だに忘れられない。

 

金があり、オーディオ機器は最新のものに様変わりしたが、聴いている音楽は、相変わらず、英米の洋楽のポップス中心だった。

音楽を聴く幅を広げる事はなく、音の良さのみ追及していくような学生時代だった。

但し、その時は、他の知識もなかったし、それで十分楽しめたんだよね。

MTVの衝撃

大学生の時に田舎の地元でもMTVが放送された。

プロモーションビデオという言葉は聞いたことがあったが、音楽以外に映像がプラスされたものがこんなに面白いとは思わなかった。

映像から音楽が好きになる事を経験した時の衝撃は忘れられない。

音楽だけ聴いていたら絶対にはまらないような曲でも映像付きではまる曲が多々あって面白かった。

Hifiビデオの衝撃

大学の学園祭の時に、私たちは仲間10人で本格的な喫茶店を教室の1室でやったんだ。そこでの私の秘密兵器は、ナショナルのハイファイマックロードのビデオだ。

まだ通常のビデオは音の悪い固定ヘッドによるステレオだったが、このハイファイマックロードは音声ヘッドに回転ヘッドを使い、ダイナミックレンジが80db以上を実現しており、CDをVHSテープに録音し再生しても違いが分からなかったなあ。

 

コーヒーを飲んでたおじさんが、CDプレーヤーが動いていないに、この音楽はどこから流れているのかと聞かれた。

このビデオからですって言うと驚いていた表情をいまだに忘れられない。

まあ、通常の使い方では全くないのですが、実は、喫茶店をやったメンバーがコーヒーやケーキ等の対応に忙しくて、CDをいちいち変えてる暇がなかったのよ。

そこで、このハイファイマックロードのVHSでは標準で2時間ずっと高音質な音楽を流す事ができたのでこれを利用した。

流した音楽は、模擬喫茶店なので、雰囲気を重視して高中正義の曲を流したが、最高にかっこいいギターだ。すごく楽しい経験だった。

ちなみにこのHifiビデオは兄貴をだまして(笑 買わせたものを借りて大学で使った。

 

私の音楽人生が幅を大きく広げるのは、実は、洋楽のポップス・ロックのCD収集で限界を感じる50歳を過ぎてからだった。

もう集めるべきCDは集めた、もう刺激がないぞ。

そうだ、今までと違う音楽も聴こう!

それが今の私だ。

今後、またの機会に、聴く音楽の幅が広がった経緯やどんな音楽を聴いているのかについて語るようにします。

では、またです!